鈴木裕二のひとり舞台。

My Life with English

Yuji Suzuki

A: どういった切掛でエイトリアムに入ったのですか?

私は売れない舞台役者をしているのですが、ある時期、ちょっとした切掛で役者業を御破算にしたくなったんですね。それで、大量の暇な時間ができまして、「さて、これから何をしようか?」と考えて、「とりあえず大学行こう」と思った。図書館が好きで、蔵書数で大学を選んだら、東大京大が一位二位だった。だから、両方いけば、もともとの出身大学(蔵書数三位)と併せて、二千万冊のとんでもない知のリソースが使えるぞ!と、馬鹿なことを考えていたのですが、私は半分本気でした。それで、当然英語も大学の試験科目で、英作文も出る。しかし、英作文は難しいって思っていたんですね。なにせ、英語的な発想ができないと、奇妙な文を作りがちになってしまう。別に変でも、試験を通ればいいじゃんとも思ったんですが、私は凝り性の所がありますから、「本質的なところを捕まえて、ネイティブが書いたような英文を書けるようになりたい」と思っていた。その為に根本的なところからトレーニングする必要を感じていた。文章は口で喋る言葉の還移態ですから、その一次態たる会話から始めれば、書くほうの「英作文」もできるようになると考えました。そこで英会話教室を探し初めたんですが、私はそこで「イギリス英語にしようか、アメリカ英語にしようか」と考えた。昔、中目黒にブリティッシュスタイルに近い形のバーがありまして、よくそこに行ってました。そこによく外国の人が来ていて、私は話しかけはしなかったけれど、そのアクセントが好きだったんですね。それがイギリス英語だった。学校で僅かながらも触れてきた英語はアメリカ英語でしたが、それよりもずっとリズムが速くて、私の生理にあっていた。だから、ウェブで「イギリス、英語、教室、都内」で検索して、そこで出てきた3つぐらいの選択肢の一つがエイトリアムでした。他の選択肢より先に、雰囲気の好さそうなエイトリアムに電話をかけて、実際行ってみてよさそうだったので、他の選択肢は自然消滅しました。

A: 英語上達の秘訣はありますか?

私が知りたい(笑)。私はエイトリアムに入ってからずっと、英語の暗誦をしていました。エマ・ワトソンの国連でのスピーチ(HeforShe)や、チャップリンの『独裁者』のラストスピーチなど、全文を覚えて、毎朝起き抜けに頭から繰り返してました。実際に声に出して言うんです。出来ればしゃべり方から発音の癖までコピーする。筋肉が慣れるまで。まさに修行ですね。英語は日本語との言語構造が極端に違いますから、「習うより慣れろ」で訓練が大事だと思っています。と言いながら、やっぱり知識も大事です。言語は歴史の積み重ねによって来たる生活と文化の集積で、自分勝手に使うことができない性質があります。だから、英語を話すのに英語の知識は必要です。知識には2つの軸があって、一つは文法に代表される「論理的な正しさ」に関するもの(特に文法)、もう一つは、表現が自然であるかどうかに関する「言語感覚」です。私は後者について習熟したかったのですが、それはある程度、言語のことをわかっているネイティブスピーカーに訊くのが適切だと思います。変に聞こえるかどうか母語話者でないと中々分かりませんから。そして、出来ることなら、「変に聞こえる」を逆手にとって使えるくらいになりたいです。ただのコピーの中にアイデンティティーはありませんから、言語の不自由さの中で、どのように自由を求めるかということは、人生の鍵だと思います。

エマ・ワトソン HEFORSHEスピーチ

A: 英語の能力を活かしてやりたいことはありますか?

今は全くそのレベルにはありませんが、いつかロンドンで芝居がしたいです。ロンドンに行った時、旅行した6日間、毎日芝居を見ていたんですが、なによりも感銘を受けたのは観客の雰囲気でした。芝居がよければ「ブラボー」だし、そこかしこから指笛がなる。たぶん悪ければブーイングもあるんでしょう。私はそういう場面には出くわしませんでしたが。とにかく、観客が「楽しみに来ている」という感じ。日本だと「行儀よく観るもんだ」と思っている。まるで「なるほど、これが芝居というものですか」という文化の勉強をしにきているような感じすらある。たぶん、自分の中に「舞台芸術」というものを位置づけられないんです。それは本を読むとか、テレビを見るとか、サッカー観戦に行くとかいうことと変わらないはずなのですが、どうも今の日本人の中で「文化」として根付くことが難しい。それから、面白いと思ったら一人だけ笑っても構わない訳ですが、周りの客に迷惑だと思って笑わなかったりする。そういう感じになると、きっと劇場に行っても窮屈だろうなと思います。芝居というものは観客も参加してこそ成立するものなんですが、「行儀がいい」という日本人の美徳の裏面が、悪い具合に作用しているのだと思います。すなわち、予め当事者にならないことで迷惑をかけないようにしている。芝居なんてそんな大したもんではないから、自分の思う通りに見ればいいんです。タブーはない。モラルだけあればいい。喝采もブーイングも、芝居の参加者としての責任を果たしている行為です。それくらい勝手でも、芝居というのは全く違う価値観の人を巻き込んでいく包容力があってしかるべきなので、それでいいんです。日本の雰囲気が変わってくれればいいんでしょうが、たぶん、変わりませんから、わたし、イギリス行きます(笑)その為にスパイ並みの英語力が必要かもしれませんが(笑)

ところで芝居というものはお金になりません。にも拘わらず、お金がなければ公演が打てない。それどころか、生活も危うい。芝居で稼げる人なんて、ほんのひと握りです。そこで私は、将来翻訳などして日銭を稼げたらいいよなあ、と、日夜夢想しております。額田やえ子さんという大翻訳家がいましたけど、彼女くらいになれたら、どんな世界が見えるんでしょうね。その場合は、スパイに言語教育できる位の英語力が必要かもしれませんね。

A: なぜ、他の言語でなく英語なのですか?

それは単に、日本の学校教育が英語を押し付けてくるからですが、英語にのめりこむ積極的な理由として、ひとつ言えるのは、「偉そうに自分の意見を言えるから」ですね。日本だと自分の考えを下手に言うと、変な奴になってしまう。ところが、英語で話すときには、「自分の頭で考えたこと」を言わないと、まるでお話にならない。意見があることはいい事なんです。意見の伝え方は、どこの国でもよく考えなくてはいけませんが。イギリスの場合、婉曲に伝える方法が発達してますから、イギリス人と話していると「話し上手」と感じることが多いです。とにかく、前提に「人は一人で生きてくもんだ」という考え方があると、私にとっては非常に楽です。私自身が癖の強い人間ですから。向き不向きがあるので、誰にでもオススメできるような生き方ではありませんが。

とはいえ、英語を特別大事に思っているわけではなく、広範囲に亘る言語に興味があります。スペイン語、ドイツ語、フランス語、オランダ語、フラマン語、デンマーク語、ハンガリー語、標準トスカーナ語、バスク語、ロシア語、朝鮮語、蘇州語、上海語、昆明語、閩南語、台湾華語、アイヌ語、ハワイ語、マオリ語、それから母国語の日本語あたりが興味の対象です。昔の英語である中期英語にも興味があります。

A: 趣味はなんですか?

歌謡曲を聞くことです。歌謡曲と呼ばれるジャンルは、今では「なつかしの○○」みたいなのですら扱わなくなっていますが、私はただの「過去」にしてしまうには、勿体ないと思っています。笠置シヅ子、渡辺はま子、美空ひばりから、川田晴久、三木鶏郎という、戦中戦後の音楽から、島倉千代子、橋幸夫、西郷輝彦、ザ・ピーナッツと続き、ザ・タイガースやら、麻丘めぐみ、南沙織、桜田淳子、山口百恵、森昌子、郷ひろみ、キャンディーズ、ザ・キューピッツ、トライアングルとか、歌謡曲を戦前・戦中あたりから1980年辺りまで年代順に追っていくと、歌謡曲の底の深さを思い知らされます。歌謡曲というのは、西洋文化の日本化の権化みたいなもので、クラシック、タンゴ、ジャズ、ロック、ブルース、ポップス、フォーク・ソング、イージー・リスニングからブラック・ミュージックまで、ありとあらゆるものが、歌謡曲になっていった。今の歌にはない、原始的な躍動があるので、是非とも聴いてほしい。

歌謡曲は素晴らしい。

A: イギリス料理についてどう思いますか?

高かろう美味かろう、安かろう不味かろう。お金をケチらず、一度フル・ブレックファーストとか、食べてみてほしい。パンもバターもジャムもコーヒーも、かなり美味しいです。安いものを買うと、驚きの不味さ。また国際的な都市なので、食のバリエーションも豊かです。ロンドンに行ったら、イギリス料理だけでなく、色んな食べ物を試してみたくなりました。

A: 最後に一言

ことほど左様に、様々話しましたが、私は驚くべき無口人間です。放っておけば、1日喋らずとも過ごせるので却って分かるのですが、単純に自分の考えてることを話すのは楽しいですよ。英会話に行くのは、そういう理由があるのかも知れません。私みたいに変態的に言語を愛する必要はないのです。

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