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足跡をたどって/地名のお話

アイヌ語を日本語に当てた地名の多い北海道周辺やかつては琉球王国だった沖縄の地名には異民族の名残があるが、イギリスのように度重なる他の種族の侵入による影響を受けない日本各地の地名は、もともと存在していた自然や、神話、逸話などに由来することが多いようだ。

イングランドの地名はいわゆる侵略者の歴史である。紀元前のケルト人以前は省略して、紀元後450年までのローマ人、それに続くサクソン人、さらにはヴァイキングへと移り変わる。ローマ人はラテン語を、サクソン人はゲルマン語を、ヴァイキングはスカンジナビアン語を持ち込んだ。

イングランドの地名には主に2つの言葉を組み合わせたものが多く、先住民が呼んでいた名前に続けて、後から来た支配者がそれぞれの言葉で「村」「砦」「工場」などをつけ村々を形成していったことが読み取れる。
<ローマン>~chester(チェスター)~bury(ベリー)
<サクソン> ~ham(ハム)~shire(シャー)~wich(ウィッチ)~ton(トン)
<ヴァイキング> ~by(ビィ)~beck(ベック)~gate(ゲイト)
ヴァイキングとはデンマーク、ノルウェーなどのスカンジナビアからの武装船団のことである。

紀元前、当時圧倒的な進歩を誇ったローマ人はケルト人を追いやったり、ローマ化するなどしていくつもの大都市を建設した。ローマンが建設したbathが大浴場を意味することはあまりに有名。chesterはラテン語(読みは違うが)で、「ローマの砦」のこと。chesterやcesterで終わる名前はローマンが築いた街なのである。Manchesterは「man族のローマの砦」。ウースターソースで有名なWorcesterは「weogoran(というケルト人)のローマンキャンプ」。同様にburyで終わる名前は「(砦近くの)村」。Canterburyならば「(砦近くの)kent=国境(ケルト語)の人々の村」となる。

そして300年以上ブリテンを支配したローマンが大陸での戦争のため引き上げた時、統治者を失ったブリテンにサクソン人が侵入してくる。この頃アーサー王のモデルらしき人物が登場しサクソン人を相手に12戦全勝するも、サクソンの時代が到来。hamはゲルマン語で「村」、ingは「人々の」、つまりBirminghamは「バーム人の村」。tonは「農場」のことでPaddingtonは「パダ人の農場」。その他、語尾にwichがつけば「(石や塩などを作る)工場」。donがつけば「丘の砦」を意味する。またCotswoldsもゲルマン語で、cotは「小さな家」、woldは「丘」、つまり「小さな家々が並ぶ丘」である。OxfordもCambridgeもford、bridgeがゲルマン語でサクソンが名付け親だ。サクソンの時代にイングランドは統一を実現するが、度重なるヴァイキングの侵略をついには許し、デーン人が王位に就く。byは「ヴァイキングの村」のこと。Rugbyは「ロカというヴァイキングの村」である。まさか、これがのちにラグビーの発祥地となろうとは・・・。ヴァイキングは航海を必要としたために土地よりも海岸線に名前をつけることが多かったようだ。東海岸のRamsgate、Margateなど。

ケルト語はほんのわずかしか英語の中に残っていないが、ケルト地名はウェールズやローマンの支配の及ばなかったスコットランド、アイルランドに多い。britainは「ペイントした人々」、avon(エイヴォン)は「河」、thames(テムズ)は「暗い」。これらは皆ケルト語源と言われている。そして、Londonの語源については専門家たちの間でも諸説があるようだが、ケルト語のlownedi=「(渡るには広すぎるほどの)広い河」と言うのが有力説で、ローマンはlondiniumと呼んでいた。デーン人のヴァイキングの後、今度はかの有名な1066「ヘイスティングの闘い」によって勝利したノルマン人のヴァイキングによってフランス語が入り込んでくる。地名が落ち着いた頃には英語はさらに変化を遂げるのである。

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