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SCOTLAND TALK

近頃スコットランド話に花が咲く

このコラム欄の更新は2年ぶりとなる。その間20周年記念やカルチャーイベント、手狭になってきたオフィスの改装などを行ない多忙を極めた。現在(9月末より)は、イギリスで英国人にプレゼンテーションや交渉の仕方などをコーチしてきたプロのビジネス・コミュニケーション・スキルトレーナーによる生徒のためのプレゼンテーションワークショップをウィークエンドに開催中だ。無くて七癖、自分の英語スタイルを客観的に見つめ直し、明確で好感度の高いコミュニケーション術をこの機会に生徒たちに身につけてもらいたいと考えている。ビジネスする人も、そうでない人も。

さて話は変わるが、近頃スコットランド話に花が咲く。独立投票の結果はUK内に留まることとなったが、イギリス政府を脅かし政治的に優位に立った勢いをどのように利用していくか、また自治拡大を約束したキャメロン政権はいかにして収拾を図るか、ミリバンド率いる労働党はこのチャンスを生かして政権奪還できるのかを見守りたい。

スコッツ(スコットランド人)のイングランドに対する敵対心や不公平感については以前もこのコラム欄で何度か取り上げたことがある。面積も人口も北海道より少し小さいくらいのこの国には誇り高きスコッツの遺産や文化、商業が多く存在する。歴史上重要とされる建築物の数は16,000にも上ると言われ、イギリス最古の学部を持つ優秀な古代大学が二つ。科学技術、物理学、医学などなど、古くから優れた人材を各方面で輩出し、ノーベル賞受賞者も多い。セントアンドリュースはゴルフ発祥の聖地であり、ファッション業においては大人なら一着は欲しいハリスツィード、日本でも常に人気の高いタータン(チェック)など、スコットランド産の秋冬アイテムはハイクオリティで時代を超え世界で愛されている。そして美しい自然、麦と水とスコッチウィスキーである。

NHKの朝のドラマでは、スコットランドからウィスキー作りを持ち帰ったニッカウィスキーの創業者、竹鶴政孝とその妻リタの物語が始まった。ヒロインを演ずるのは可愛らしいアメリカ人で実はクォータースコティッシュなのだそうだが、スコットランド女性が持つ少し陰りがあって骨太な雰囲気はあまり感じられない。だが、NHKの朝ドラという国民的TV番組の中でイギリス人が主人公というのだから無関心ではいられない。

WHISKYの語源はWATER OF LIFE「命の水」。元々はアイルランドが発祥の地である。日本のウィスキー作りのお手本となったスコッチウィスキーも19世紀には質の悪い物として出回っており、当時最高の品質を誇っていたアイリッシュウィスキーは混同されたくないがためにスコッチのWHISKYに対してWHISKEY、Eを用いるスペルを使った。今ではアイルランドとアメリカにおいてWHISKEYと表記されている。

竹鶴酒造所の三男、政孝は最初の就職先であった摂津酒造のマネージャーの命により1918年、スコットランドへ留学。グラスゴー大学で有機化学を学ぶかたわら各地の蒸留所をめぐってウィスキー作りの実習を重ねた。かさむ滞在費を節約するためlodger(下宿)した先の娘がリタである。経済的余裕が無いのは典型的中産階級であったリタの家も同じで、そのための間貸しであった。

まわりの反対を押し切って政孝とリタは結婚。帰国してみると摂津酒造による蒸留所建設話は頓挫。政孝は化学の教師となる。その彼を見出したのが寿屋(現サントリー)の鳥井信治郎だ。だが、あくまでスコッチ製法の王道にこだわる政孝と鳥井との間には亀裂が生じ、降職の身となったことで寿屋と決別する。それを機に政孝は寿屋時代から唱えていた北海道に蒸留所を建設する道を画策する。その頃家計を助けるためにリタが英語を教えていたのが、実業家、加賀正太郎の妻であったことから興味を抱いた加賀が出資者の一人として参加。念願の北海道「余市」における蒸留所を実現させるに至るのだった。

この出資者の一人、実業家としてサラブレッドの加賀正太郎は欧州遊学をし、ロンドン滞在中に見たキューガーデンの蘭が忘れられずに日本で初めて栽培を始めた人である。また、現アサヒビール大山崎山荘美術館をウィンザー城からの眺めからインスピレーションを得て20年かけて建築するなど、彼もイギリスとの縁が深い。

その後時代は第二次世界大戦へと突入する。皮肉なことに政孝の蒸留所は輸入を絶たれた帝国海軍に安いウィスキーを提供することで戦火を生き延び利益を得た。そして戦後ニッカウィスキーとサントリーはライバルとして日本のウィスキーの発展に尽くすのである。

リタは一度も帰国することなく、政孝の夢に献身的に尽くしたことはNHKのドラマで語られるであろう。リタは1961年に、政孝は1979年に他界する。2007年、ニッカウィスキー「竹鶴」は世界最高のブレンドモルトとして、2008年「余市20年」は世界ベストシングルモルトウィスキーとして表彰され、亡き政孝の夢は後継者へと確実に引き継がれていたのである。

これを機に日英のウィスキー蒸留所めぐりツアーに繰り出す日本人の数が増えることだろう。